創世記

2章

 

 

References

 

Word Biblical Commentary, Vol. 1: Genesis 1-15, Gordon. J. Wenham, 1987

 

 

2章16、17節 

善悪の知識の木からは取って食べるな。取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。

 

the LORD God commanded the man, saying, "You may surely eat of every tree of the garden, but of the tree of the knowledge of good and evil you shall not eat, for in the day that you eat of it you shall surely die."

 

「善悪の知識の木」

神はエデンの園の中央に「いのちの木」と「善悪の知識の木」を生えさせ、人に後者の木からのみ、その実を取って食べるな、と命じます。

それを食べるとき、「必ず死ぬ」(ヘブル語を直接英語に置き換えるとyou shall die to dieとなり、死ぬことが強調されている)と神は人に語られます。

後に蛇(サタン)に食べても決して死なず(以前の神のことばをそのまま打ち消す表現)食べれば神のように、善悪を知ることが出来るようになる、との誘惑に負け、人はその実を食べてしまいます(3章)。

その果物自体に毒があったということでなく、神の命令に従わないこと、反することが、死に値するものであることを聖書の他の箇所から見て取ることが出来ます。

 

人は善悪を自分で判断するのでなく、神に聞いて判断する存在でした。良いことか、悪いことかを決めるのは神の役割であり、神が裁き主でした。しかし、人は神から独立し、神なしに自分で善悪を判断するようになってしまいました(士師記の最後には、イスラエルの民がひどい状態にあったことを伝えるエピソードがありますが、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」(士師記21章25節)という言葉で終わっています)。

 

その結果、まず、自分たちが裸であることを「悪」ととらえて、いちじくの葉をつづり合わせて裸を隠そうとしたことが書かれています(3章7節)。

 

神は神の命令に背いた人を、すぐに殺し、又新たな人を創造することも出来たでしょう。しかし、神はアダムの代わりに動物を殺し、皮の衣を作り、彼らに着せてくださいました(創世記3章21節)。

 

これは、後に来るキリストが、人の罪の代わりに死に、そのキリストの衣を信じる者に着せてくださることの予表になっています。

 

「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです」

 

(ガラテヤ人への手紙 3章27節)

 

 

 

 

 

 

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18節 わたしは彼のため、彼にふさわしい助け手を造ろう。

 

the LORD God said, "It is not good that the man should be alone; I will make him a helper fit for him." 

 

神は人(アダム)を土(アーダーマー)から造られました。そして、この人のために、助け手として、神は人のあばら骨から、女を造りました。この後で、その解説として、「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる」(24節)と書かれています。ここに結婚の意味と目的を見ることが出来ます。

男性は結婚によってその責任や優先順位が自分の両親から妻へと移ること、また、神がこの二人を一つにする、という奥義が語られています。現代の奥様たちは、子どもに自分の生きがいや使命を感じて、教育熱心な方が多いように思いますが、このところから、夫の助け手として、妻は造られた、ということをもう一度考えるべきではないでしょうか。

 

「妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。子どもたちよ。すべてのことについて両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。」(コロサイ人への手紙 3章18-20節)

 

「それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(マタイの福音書 19章6節)

追加予定

 

25節 人とその妻は、ふたりとも裸だったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。

 

 

the man and his wife were both naked and were not ashamed.
 

 

善悪の知識の木、と呼ばれる木から取って食べる前、人は裸を善とも悪とも判断しない、出来なかったので、恥ずかしいと思わなかったのでしょう。

この節は1章31節で神がすべて造ったものを良いと見られたとあるように、人が罪を犯す前の無垢の状態を示しています。本来の夫婦の間には隠すことがない、自分の心の中までも、相手に見せても恥ずかしくない、そのようなものであると思います。また同時に、3章への複線になっています。

 

 

「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」 ヘブル人への手紙 4章13節