聖書って何?

<翻訳> 旧約聖書はヘブル語、一部アラム語で書かれています。新約聖書は当時のギリシア語(コイネー)で書かれています。

日本語聖書を含めたほぼすべての聖書はこのヘブル語やギリシア語から翻訳しています。時代と共に言葉も変化するので、現代の人が理解することの出来る言葉に直したり、言語学・考古学の研究の成果などにより新たにわかったことなど、より適当なことばへの翻訳作業が常に続けられています。

 

 

 

 

References

 

・「総説 現代福音主義神学」(宇田進、いのちのことば社、2003)

「恩恵の光と自然の光」(春名純人、聖恵授産所出版部、2003)

General Revelation; Berkouwer, 1955. など

 

 

A1. 聖書は神のことば・メッセージ

 

The Bible is the word and the message from God.

 

アンパンマンの主題歌に「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」とありますが、この世界と私たち一人ひとりが偶然の産物なら、存在の意味などないといっていいでしょう。

 

聖書には神がこの世界を造り、また私たち一人ひとりを、目的を持って造られたことが書かれています。聖書を読み、神を知ることで、自分が「何のために生まれ、何をして生きるのか」を知ることが出来ます。

 

私たちは聖書に書かれた神のことばによって生きる、とイエスは教えています。

 

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きる」

(申命記8章3節、マタイ4章4節)

A2. 聖書の中心テーマはイエス・キリスト

 

The epicenter of the Bible is Jesus Christ.

 

聖書は大きく二つの部分から成ります。イエスの生まれる以前までに書かれたものを旧約聖書、イエスが生まれた後に書かれたものを新約聖書、といいます。

 

旧約聖書にはこの世界の創造にはじまり、イスラエルの歴史、律法、詩、箴言、預言などが書かれていますが、大事なことは、神の約束(契約)が書かれていることです。それは、神が救い主(ヘブル語でメシア又はメサイア、ギリシア語でキリスト)を送る、というものです。その約束の成就が新約聖書に書かれています。

旧約聖書にはこの救い主が誰の子孫からどこで生まれ、どのような人物なのか、ということが預言され、新約聖書には、その救い主がイエスである、と書かれています。

 

ですから、聖書を読むときには、イエスは誰なのか、という視点を持って読むことが大切です。

 

「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたし(イエス)についてあかしをするものである。」

(ヨハネの福音書 5章39節)

 

神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子(イエス)によって、私たちに語られました」

(ヘブル人への手紙 1章1、2節)

A3. 聖書は啓示

 

The Bible is a revelation.

 

聖書はいろいろな時代にいろいろな人たちによって書かれました。他の文書と聖書の違いは、聖書の著者は究極的には神であるところです。

 

「聖書はすべて、神の霊感によるもの」 (第二テモテ3章16節前半)

 

聖書はプラトンの書物のように人間の知恵が生み出したものではなく、あるいは、昔の人々の伝説や宗教観をまとめたものでもなく、神が与えたもの、というのが啓示という意味です。

 

神はこの聖書とイエス・キリストを私たちの救いのために与えました。これを特別啓示と言います。

私たちはこの聖書を通して、また歴史の中に現れたイエスを通して、神を知ることが出来ます。

 

この「特別啓示」に対して、神の造られたこの世界、神が導いている歴史、そして私たちに与えられた良心などを「自然啓示」と言います。私たちは神が与えた自然・歴史・良心を通して、神を知ることが出来るはずでしたが、かえってその自然自体を神々とし、歴史を人間中心に見て解釈し、良心を無視するようになってしまいました。

 

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。」

                                   (ローマ人への手紙1章20-25節)
 

 

 

 

A4. 聖書は生活の基準

 

The Bible is the standard of our life.

 

聖書には神の造られた人間の、本来あるべき姿が書かれています。たとえば、子どもは親に従うべきこと、夫は妻を愛し、妻は夫に従うべきことが書かれています。神を恐れず、このような基準を持たなければ、子どもは親の言うことを聞かず、夫も妻も別の女性・男性と関係持つようにまでならないでしょうか。結婚や家族のあるべき姿も失われてしまうでしょう。

神の求める正しさ(義)は、行為だけにとどまらず、心の中まで問われます。例えば、となりの奥さんがとても若く、魅力的だったとして、その人をいやらしい目で見たり、想像したりすることは、その奥さんやそのご主人にとって、快いことでしょうか。また、その当人が既婚者なら、それを自分の奥さんは良いことだと思うでしょうか。

聖書はこれら、心の中の姦淫や人に対する憎しみなども、神には知られていること、そして、神を恐れ悪から離れるべきことを教えています。

この他にも、嘘を言って人をだましたり、おとしいれたりしてはならないこと、社会的弱者や病人を心にかけ助けるべきこと、平和を求めるべきことなどが書かれています。

 

「『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。

 だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」

(マタイの福音書5章27-28節)

 

 

 

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