キリスト教?
<ものみの塔(エホバの証人)・末日聖徒教会(モルモン)>
エホバの証人やモルモンの人たちは自分たちをクリスチャンと呼ぶかもしれませんが、彼らは重要な部分で聖書の教えからはずれているので、クリスチャンではありません。彼らは三位一体を信じていません。それは、エホバの証人は新世界訳という、英語からの翻訳である特別な聖書を使い、モルモンはモルモン経典という別の本を基準としているからです。
References
・The Holy Trinity -In Scripture, History, Theology, and Worship, R. Letham, 2004.
A2. 三位一体?
The Trinity is a nature of God.
キリスト教の神は三位一体という言葉で表現されます。
神は唯一ですが、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神と、三位の存在があります。
このような存在形態は、人間の理解を超えていますが、聖書の示す神をそのまま記述すると、三位一体としか表現できません。
例えば、創世記1章1節に「はじめに神は天と地を創造した」とありますが、ここで「神」と訳されたヘブル語はエロヒームで、エル(神)の複数形が使われています。しかし、動詞「創造した」は単数を受ける形が使われています。英語でそのまま訳すなら、Gods creates のように、文法上は間違った形となります。一時には尊厳の複数という、上位階級の人が複数形で表されると説明されることがありましたが、この用法は動詞とは一緒に用いられないことがわかっています。
その他にも創世記3章22節、11章7節、イザヤ書6章8節の用法など、旧約聖書の中にも多く三位一体を推測する箇所があります。
新約聖書のヨハネの福音書1章1節はイエスを「ことば」という隠喩を使って表現しています。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」つまりここで、イエスは神と共にあり、また、イエスは神だった、と伝えています。
黙示録の1章には「神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」(8)と書かれていて、その同じアルファでありオメガであるのがイエスであることが黙示録22章を読むとわかります。
「見よ。わたしはすぐに来る。-わたしはアルファであり、オメガであるー」(12,13)
「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあかしした」(16)
「『しかり。わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください」(20)
A3. キリスト教は戦争好き?
Christian church loves war?
多くの日本人にとってキリスト教がいまひとつ信頼出来ない理由は、歴史の中でキリスト教会が引き起こし行ってきた戦争があるのではないでしょうか?
例えば十字軍において、神の名の下に多くの人を殺しました。最近ではキリスト教国とみなされるアメリカが、クリスチャンのブッシュ大統領の指導によって、無理な理由を作ってイラク戦争を起こす、ということもありました。
これらはどう考えればいいでしょうか?
それぞれをよく調べて、事実はどうだったのかを調べる必要があります。
<十字軍>
十字軍はイスラム教の軍隊によって占領されたエルサレムを奪回するために、キリスト教会が起こした戦争で、多くの小さな子どもたち(少年十字軍)も犠牲となった、というのが一般の理解です。
しかし、当時の資料をよく調べてみると、十字軍の第一の目的は当時拡大していたイスラム軍からの防衛のための戦争だったことがわかっています。
<イラク戦争>
イラク戦争はブッシュ大統領が口実をつけはじめたもので、共和党を支持する多くのクリスチャンもこの戦争を支持しました。しかし、ブッシュの演説を聞くとわかりますが、彼は神とは多くいいますが、イエスやキリストという言葉を一度も語っていません。その内容は聖書の「敵を赦し、敵のために祈れ」というイエスの命令を無視したものです。明らかに戦争をするために、”キリスト教”という宗教や支持団体を利用しているに過ぎず、キリストの教会に仕えるところから出た行為ではないことがわかります。
<その他>
すべての戦争を否定するわけではありません。十字軍もそうですが、たとえば第二次世界大戦中のナチスの拡大を阻止するための戦い等、必要な戦いも歴史上には多くあったと思います。
しかし、クリスチャンとキリスト教会は、イエスの弟子たちから迫害の歴史であり、その迫害の中で敵を赦すのを見た多くの人が、これは本物であると受け止め、広まってきたものです。それがローマのコンスタンティヌス帝のときから、国家に結びつき、戦争の道具として利用されてきたことが、キリスト教徒が戦争好きであるというイメージを与えました。現代でも、成功哲学やお金儲けなどに利用する一部の人たち・教会がありますが、本物の教会とクリスチャンは迫害の中にあることの方が多いのです。
A1. イエスを救い主(キリスト)と信じる人
The Christianity is to believe Jesus Christ as his savior.
をクリスチャンと呼びます。もう少し具体的には、およそ2000年前に生まれたイエスという人物が、自分の罪のために十字架にかかり、三日後によみがえった、と信じることがキリスト教の核心です。
キリスト教会は歴史的に大きく三つにわかれました。1054年に西方教会(カトリック)と東方教会(正教会)にわかれ、さらに1517年にカトリックからプロテスタント教会がわかれました。
三つの教会の違いは多くありますが、核心の部分は同じです。日本ではクリスチャンは非常に少ないですが、世界のおよそ三分の一の人たちがイエスを自分の救い主と信じています。
「イエスは、彼らに尋ねられた『では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』」
(マルコの福音書 8章29節)
A4. 神は愛?殺戮者?
God is love or mass murderer?
「神は愛というけれど、悪魔よりも何百万・何億という人間を殺しているのを聖書から見ることが出来る、これでどうして『神は愛』と言うことが出来るか?」という質問を見聞きします。
確かにノアの時代の洪水によって、ノアの家族以外、動植物を含めてすべての人間を神は滅ぼしました。アブラハムの時代にソドムとゴモラとその住人を天からの火で滅ぼし、その他にも数多くの人々が神によって滅ぼされたのを聖書に見ることが出来ます。
これは「神が愛である」という意味を取り違えていることからくる誤解だと思います。神は愛であるということを理解するためには、神が聖であり、義なる方で、罪を赦すことが出来ない方であることを、まず知る必要があります。
たとえば、ノアの時代は「人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」(創世記6章5節)状態、「地は神の前に堕落し、暴虐で満ちていた」「(同11節)状態で、神はその悪を見過ごすことが出来ずに人間を滅ぼしたことが書かれています。
しかし、神は愛であり、あわれみ深い方なので、ノアが船を作っている間、彼らが悔い改めるのを待っていたことが書かれています(第二ペテロ3章20節)。もし、人々がノアの言うことを聞き、その行いを悔い改めたなら、神は人を滅ぼすことを思いなおしたでしょう。
ソドムを滅ぼす前には、アブラハムが神と交渉する箇所があります(創世記18章)。もし50人ソドムに正しい人がいたら、その正しい人を他の悪人と共に滅ぼすのですか、というアブラハムの嘆願に、神はその50人の正しい人のために、町全体を赦す、と約束しました。さらにアブラハムは40人、30人、最後には10人の正しい人がいた場合はどうか、と語り、神はその10人のために、町全体を赦す、と約束されました。
神は本来、無条件に人を殺し生かす権利を持っています。神から見れば、今もノアの時代、ソドムの町々とそれほど変わりはないかも知れません。しかし、神は忍耐し、ノアの家族・ロトの家族を救い出したように、イエスを送り、救いの道を用意して下さいました。ここに神の愛が示されています。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
(第一ヨハネの手紙 4章10節)
「主は-あなたがたに対して忍耐深くあられ、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」
(第二ペテロの手紙 3章9節)
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