形成期の神殿
「クントゥル・ワシ神殿」
ペルーの歴史といえばインカを思い浮かべる人が多いと思いますが、インカより4000年以上前に偉大な文明があり、その時代はまとめて先インカ期と呼ばれています。そして、先インカ期の前3000~後1年までが「形成期」と呼ばれ、クントゥル・ワシはこの時期に位置しています。形成期とは山岳地帯、海岸地帯でも定住化が進み、神殿の建築が開始された時代であります。特にこの時代は神殿の建築、更新や祭祀が特徴で、クントゥル・ワシ神殿も何度も施設を破壊、埋めたりし、施設を更新していました。クントゥル・ワシは前1100年頃に始まり、前800年から250年頃に最盛期を迎えた後、突然崩壊しています。
クントゥル・ワシは大きく4つの時期に分かれていて、イドロ期(前1100~前800年)、クントゥル・ワシ期(前800~前500年)、コパ期(前500~前250年)、ソテーラ期(前250~前50年)がありました。2つ目の時期、クントゥル・ワシ期においては大がかりな神殿が築かれ、中央階段、中央広場、中央基壇が築かれました。そして、中央基壇には、5基の墓が作られていました。5基のうちの4基の副葬品には冠、耳飾り、耳輪、首飾り、鼻飾りなどの金製品と共に、貝、土器が伴っていました。また、次のコパ期にも首飾り、毛抜き、冠などの金製品が副葬品として見つかっています。クントゥル・ワシから出土した金製品はおよそ200点あり、アンデス文明最古の金製品であると同時に、形成期でこれほどの芸術的完成度の高い金製品はクントゥル・ワシでしか見つかっていません。
また、クントゥル・ワシは金製品だけではなく、骨製や石製の装飾品、石彫などが多く出土しています。これらの出土品の図像のモチーフになっているのはジャガー、蛇、鳥が大半であり、特にジャガーがモチーフになっていることが多くみられます。
このようにクントゥル・ワシ遺跡では思いがけぬ黄金の墓、神殿、珍しい石彫の出現は形成期研究にとって貴重な事実をもたらし、アンデス文明形成期の複雑でダイナミックな過程を明らかにした点で、アンデス先史学に対する大きな寄与をしたといえます。また、現在も井口欣也埼玉大学教授を中心に発掘は続けられており、今後も新たな研究成果が期待されています。
クントゥル・ワシ神殿の床下に黄金製装身具など様々な副葬品とともに葬られてる人骨が発見されました。また、鐙形土器など工芸品からも高い芸術性とともに古代アンデス文明の息吹を感じることができます。これらの金製品はアンデス最古であるばかりでなく、南北アメリカ大陸全体を見まわしてもこれに並ぶ古い時代の出土例はなく、学術的には極めて価値が高いものです。
日本古代アンデス文明調査団の歴史
1958年に泉靖一により「東京大学古代アンデス調査団」が組織された。同年アンデス地帯で学術調査が実施され、約240箇所の遺跡の表面調査が行われました。この調査をきっかけに日本人考古学者はペルー北部地域を中心に発掘をしていくことになっていいきます。この第1回調査団には泉靖一、寺田和夫等の日本人研究者が参加していました。
第2回調査団は1960年5月に実施され、主にコトシュとトゥンベス地域で発掘が行われました。調査団は泉靖一を団長とし、寺田和夫、渡邊直経、大貫良夫、曽野寿彦等数多くの研究者が参加しました。コトシュ遺跡の発掘は1963年、1966年にも行われ、コトシュ遺跡が形成期において重要な儀式の役割を担っていたと泉靖一教授は結論づけました。コトシュ遺跡といえば交差した手を表した粘土製のレリーフが有名であり、「交差した手の神殿」と名づけられた神殿もあります。
1975年には「日本核アメリカ学術調査団」という新たな調査団が組織され、ラ・パンパ遺跡が発掘された。と同時に、メンバーであった寺田和夫と大貫良夫はペルー人考古学者と共に、ワカロマ遺跡を発掘しました。この調査により1979年に集中的な発掘が行われました。
1985年には大貫良夫と加藤泰健がセロ・ブランコ遺跡を発掘しました。ワカロマ遺跡と比較することにより、形成期の編年体系を明らかにすることが目的でした。
1988年にはクントゥル・ワシ遺跡の発掘が開始されました。メンバーには大貫良夫を筆頭に加藤泰健、関雄二、井口欣也、坂井正人、ワルテル・トッソなど数多くの研究者が参加しています。クントゥル・ワシでは現在も発掘が続いています。
1958年から続いてる日本人による研究は古代アンデス文明を明らかにする重要な役割を果たしてきました。特に形成期の編年を確立したことの貢献度は大きいといえます。
クントゥル・ワシの宝
一部の展示品
古代アンデス文明編年表
クントゥル・ワシ編年表
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Museo Kuntur Wasi