現在の飾りは、紅葉の中に金燈籠(春日燈籠)、輪は注連縄(しめなわ)、垂は正絹両練固地織薄茶地固流紋(しょうけんりょうねりかたぢおりうすちゃぢこりゅうもん)に三社の御紋の金糸縫です。
蝋引きの紅葉に金色の燈籠は、旭に映えて眩いばかりにきらめきます。新大工町の傘鉾は、曳壇尻と同様、春日大社に因んだ意匠でまとめられています。 

 

傘鉾 #1 

 

詩舞 #2 

明治三十四年(1901)、曳壇尻とともに新大工町のくんちの演し物として、初めて少年剣舞を奉納し、毎回、長坂連から拍手喝采を博しました。
昭和二十六年(1951)を最後に剣舞の奉納は途絶えましたが、剣舞再興の機運が高まる中、平成六年(1994)剛柔、硬軟のいずれの表現も出来る詩舞を奉納する事になりました。
鶴洲流長崎詩吟会指導のもと、くんち本番では、若い女性が白い着物に黒地に金糸をあしらった袴姿で、一糸乱れぬ凛とした舞を、これまで三回にわたり諏訪の社頭で立派に奉納致しました。
詩吟については、町民の中から優れた吟士を育てようと、町内有志が同流派に入門し、皆様にその成果をご披露できるよう、日々精進を重ねています。
詩舞は、漢詩や和歌等に、節(旋律)を付けて詠う詩吟に合わせて、詩の世界を表現します。元来、詩舞は、剣舞から生まれた舞で、刀の代わりに扇を用いて舞い、剣舞と比べて柔らかな振りも表現出来るのが特徴です。
一般的に、詩舞に用いる扇は、「舞扇」と呼ばれるもので、その使われ方によって、自然の営みから日常の様々な事柄を表現します。
曳檀尻 #3
ダンジリとは、祭礼の折、飾り物を付け、囃子を奏しながら曳き歩く方形の山車の事をいい、舟型の川船とは異なります。
明治・大正時代、十二か町を数えたダンジリの演し物も、現在では、新大工町だけになっており、記録上は、明治三十四年(1901年)以来、脈々と奉納を続けている事が確認できます。
以前の新先工町の曳壇尻は、大工の技術を誇示した白木造りでしたが、昭和六十一年(1986)、従来のものより大型の朱塗りの曳壇尻を新調しました。
屋根飾りは、春日大社の御祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸の国 鹿島神宮から白い神鹿の背中に乗って空を飛び、奈良の御蓋山の頂、浮雲峯に勧請し、御鎮座になられたとの伝説に由来して、春日大社の情景をした紅葉、松、鳥居、白鹿を配し、横飾りは町名に因み、松森神社の職人尽くし彫りもの絵の大工職にかかわる彫刻を、土呂飾りには鹿に紅葉の彫刻をあしらっています。

 

 

shindaikumachi

新大工町

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